ワールドカップを数学で読み解く:PK戦の「読み合い」に潜むナッシュ均衡の正体

数学×日常の読み物

2026年6月、ついにサッカーワールドカップが開幕します。勝敗を分ける極限の緊張感、延長戦でも決着がつかず最後に行われるものが「PK戦」です。キッカーとGK、両者が「どっちに蹴るか/飛ぶか」を必死に考えるあの瞬間、実はピッチの上では「ゲーム理論」という高度な数学の世界が繰り広げられています。

高校生でも理解できるようなゲーム理論の面白さを伝えていこうと思います。

今回は、ノーベル経済学賞にも輝いた理論が、PKという11メートルのドラマをどう解明しているのかを覗いてみましょう。


1.PKは究極の「ゼロサムゲーム」だ

まず押さえておきたいのが、PKはゲーム理論における「ゼロサムゲーム」の典型例だということです。

【用語解説】ゼロサムゲームとは?

一方が得をすれば、もう一方が必ず同じだけ損をする状況のこと。利益の合計(サム)がゼロ(±0)になるゲームです。

  • キッカーが得点する(+1) = GKが失点する(-1)
  • 合計 = $1 + (-1) = 0$

チェスや将棋も同様ですが、PKは一瞬で勝敗が決まるため、より純粋な数学的モデルとして分析しやすいのです。


2.「利得表」で戦略を可視化する

キッカーとGKの選択肢を「左(L)」と「右(R)」の2択に絞り、実際の統計データ(右利きのキッカーを想定)をもとにした「利得表(ペイオフ行列)」を作成してみましょう。数値はキッカーの成功率を表しています。

利得表(右利きのキッカー)GK:左に飛ぶGK:右に飛ぶ
キッカー:左に蹴る58% (読まれた)95% (逆を突いた)
キッカー:右に蹴る93% (逆を突いた)70% (読まれた)

※ 数値はPalonics and Saez(2003)などの研究をもとにした概算。右利きのキッカーを想定

ここで注目すべきは、右利きの選手にとって「右(利き足側)」は、たとえ読まれても成功率が70%と高いという点です。対して、逆足側である左は、読まれると成功率が58%まで落ち込みます。

「支配戦略」は存在するか?

どんな時もそれを選べば有利になる「支配戦略」を探してみましょう。

そもそも「支配戦略」って何?

一言で言うと、「相手がどんな手を出してこようが、自分にとって『常にこっちを選んだ方がマシ!』と言い切れる最強の選択肢」のことです。

  • 支配戦略がある場合: 悩む必要はありません。相手の動きに関係なく、その「最強の手」を出し続ければいいだけです。
  • 支配戦略がない場合: まさに今回のPKのように、「相手がこう来るなら自分はこう、でも相手がああ来るなら自分はああ……」と、相手の裏をかく「読み合い」が発生します。
  • GKが左に飛ぶなら → 右に蹴るのが得(93%)
  • GKが右に飛ぶなら → 左に蹴るのが得(95%)

相手の動きによって最善手が変わるため、PKには支配戦略が存在しません。だからこそ、両者は「裏の裏をかく」無限の読み合いに突入するのです。


3.ナッシュ均衡:最適解は「確率」の中にある

「右に蹴る方が威力があるなら、右ばかり蹴ればいいのでは?」と思うかもしれません。しかし、それをするとGKに100%読まれてしまいます。

そこで登場するのが、ノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュが提唱した「ナッシュ均衡」です。これは、お互いに「戦略を変えると損をする」という安定した均衡点のこと。PKの場合、「あえてランダムに混ぜて蹴る」という混合戦略が最適解となります。

ナッシュ均衡って結局なに?

一言でいうと、「お互いに相手の出方を考え抜いた結果、これ以上自分の手を変えても得をしない『手詰まり』の状態」のことです。

  • 「後悔しない」状態: 相手が今の戦略を維持するなら、自分も今の戦略のままでいるのがベスト。お互いにそう思っているため、戦略がこれ以上変化しなくなります。これを「均衡(バランス)が取れた」と言います。
  • PKの場合: もしキッカーが「左に蹴る確率」をナッシュ均衡の38%から少しでもズレさせると、GKはその隙を見逃さず、より多く止める戦略に変えてきます。「相手に隙を与えず、自分も損をしないギリギリのライン」が、このナッシュ均衡なのです。

数学的に「混ぜる比率」を求める

キッカーが「左に蹴る確率」を $p$ とし、GKがどちらに飛んでも期待成功率が同じになる $p$ を計算してみましょう。

【計算式】

左に蹴る確率を $p$、右に蹴る確率を $(1-p)$ とすると、期待値の等式は以下のようになります。

$$\displaystyle 58p + 93(1-p) = 95p + 70(1-p)$$

これを解くと:

$$\displaystyle 93 – 35p = 70 + 25p$$

$$\displaystyle 23 = 60p$$

$$\displaystyle p = \frac{23}{60} \fallingdotseq 0.383$$

つまり、キッカーは「左38%:右62%」の割合でランダムに蹴るのが数学的な最適解なのです。


4.理論は現実を証明しているか?

驚くべきことに、プロの選手たちはこの数学的最適解を「直感」で実践しています。

イグナシオ・パラシオス=フエルタ教授によるリーガ・エスパニョーラ(スペインサッカーのトップリーグ)の分析(2003年)では、以下の結果が出ています。

  • 理論値: 右(利き足側)に蹴る割合 62%
  • 現実のデータ: 右に蹴る割合 約57%

数値は極めて近く、トップアスリートたちは経験則から「ナッシュ均衡」をほぼ完璧に体現しているといえよう。


5.2026年大会のPK戦を楽しむ視点

現代サッカーでは、この「混合戦略」をさらにデータで攻略する段階に入っています。

  • 行動バイアスの利用: 人間は「右→右」と続くと「次は左」と考えがちですが、数学的ランダムは「右→右→右」もあり得ます。この心理的スキをデータで突く分析が主流です。
  • GKのデータベース化: 特定の選手がプレッシャー下で「ナッシュ均衡からどれだけズレるか」を事前にAIが解析し、GKに伝えています。

まとめ:PKの中にある「数学の完璧な実験場」

PKは単なる「運」や「根性」の勝負ではありません。11メートルの静寂の中で、選手たちは秒速で「利得表」を計算し、「混合戦略」を実行しているのです。

ワールドカップやトーナメント戦でのPK戦を見るときは、ぜひキッカーの左右の比率に注目してみてください。そこには、美しき数学の勝利が隠れているかもしれません。

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